日記

「 ル・ポールのドラァグ・レース」にはまってしまった。観る前の予想以上に個人のクリエイティビティを競うもので、シーズン1は目が離せなかった。服を作ることが好きなひとなら特におもしろく感じると思う。
オプラ・ウィンフリーを演じるという課題も、考えられての人選なのでは?と知性を感じてよかった。
でもシーズンを重ねる(とはいってもまだ3までしか観れていない)ごとに、課題をどんどん増やして過酷にしたり予告なしの敗者復活が行われたりドラァグなら悪口がいえるだろとお互いにいわせる対決など、リアリティーショー的な面白さを狙いすぎな点と、プロパガンダ的な課題(アメリカ愛を表現した、米軍へ見せる映像…)が出たことなど、しんどさが増してきている。
社会通念がいまよりも明らかに遅れているのがつらい。約10年前のものだからあたりまえではあるのだが。
出場者の人種は様々だからといって差別がないわけでもない。”イギリス人の英語”や”中国人の英語”のアクセントを、他国の人間が演じて笑いにしたり、2020年ならやるべきではないといわれるようなことをやっていた。”中国人の英語”はネットで炎上したために番組内で話題にとりあげられた。
それでもフィリピンとアメリカ(白人)のミックスであるマニラは、自分はアジア人だからという理由で中国人風の話し方を笑いにするのは問題がないと発言して、それを誰がいさめるでもなく話題が終わっていたので複雑な思いになってしまった。でもいまはそれから10年近くは経っているから、考えが変わっているといいと思う。

10年間で何がいい方向に変わったのだろう、と考えてもこれとはいえない。少しは変わっている、くらいしか。
そういうものなんだけど。自分がすぐに変われないように、他人もすぐに変われない。変わるには知る以外にはない。思いをはせているだけじゃ変わらない。学ぶのには時間がかかる。
それでも学ばなきゃいけない。知らないふりをして生きるのはよくない。それが積み重なったのを誰かしらが必死な思いで壊しにかかっているのが(いつも)現状なのだ。
壊すひとたちを増やしていきたい、から、こういうことを書いている…。