夢の中まで

寒い冬に暖かい部屋へ入る瞬間は好きだけど、冷たい外の空気を感じるときもかなり好きで、それはそのときに思い出す記憶による心地よさかもしれない。


前の仕事場から駅までの道は木々が豊富で、昼の休憩時には清々しい気分にさせてくれ、夕方から夜には民家の明かりがそれを照らし、風情とまではいかないがなかなか良い雰囲気があった。
春には透ける水色の空に桜が映え、夏には緑が広がり、秋にはそれらがえんじ色や山吹色に変化した。
ふられてからしばらくの間、帰宅時に歩いた冬のその道の空気や明かりは惨めな気持ちに浸るのにあまりに似合い過ぎていた。
木々は葉を落とし枝を伸ばすのみ。民家の窓の明かりと時折通る車のライトが雰囲気だけ、まるで温かいのだと騙すかのように夜の紺色の空に際立つ。
多くはない人通りだが、たまに通るおしゃべりしながら帰宅する学生たち、家に向かうスーツ姿の大人、そんなぽろぽろとすれ違うひとらが期待しているであろう帰宅後の温かさを勝手に予想して、うらやましがっていた。
実家暮らしだから、自分も帰宅すれば既にヒーターで暖まった部屋やこたつがあり、夕飯だって用意されていることが多い。そして仲の良い家族がいつもそこにいる。
それで充分だろうと今なら思う。
「光りだす街並み 冷えてく指先」
その道を抜けると駅前の大通りに出る。チェーン店やコンビニ、飲食店、商店街があり、一気に騒がしくなる。
あの道から大通りに向かっていると、いつもそのフレーズが頭をよぎった。外灯や店の照明で目に見えて明るい街並みに、駅前を歩く人々の表情や騒がしさは華やかに見えた。
仕事場から駅までの、たった10分程度の道のりですっかり冷えた手や頰を温める誰かはもういない。自身の思い出に対してあまりにかっこよすぎるその歌声に酔い、よく涙ぐみながら歩いていた。
朝の通勤時、その道で梅が咲いたのを見て、季節は過ぎるものだなあとぼんやり思っていたら、いつのまにか桜が開き始める。光り輝いてまぶしく見えた街並みは、休憩時や帰宅時に生活用品を買うただの街並みに戻った。
冬がまた来て、暖かく明るい部屋から外灯が点いた紺色の夜へ足を踏み入れその空気のにおいをかいだら、少しだけ街が光って見えたような気がした。
傷心の自分の、温かさを求めていたいじけた気持ちなんかはちっとも美しくないし、思い出して気持ち良いはずがない。光りだした街並みに宿る人々の溢れかえる思いが、今は変なレイヤーが無く見えているのかもしれない。断るのも野暮だが、第六感などそんな話ではない。
あの曲があって、見える景色の鮮やかさにぐでんぐでんに酔いながらも救われていた。それを今、あのときの夜に近いにおいを感じてようやく気づいたらしい。