#物 開催においての宣言(草案気味)

8/2
なぜ始めたか、など。ネット上で記録するぐらいに、諸々伝えたい気はある。


▼8/9 追記
物好きインダハウス!
7月31日に自分を律するとか何とか書いたけども、実はそれも始めるきっかけとはちょっと違う。律することができたらラッキーだけど。倖いラッキー。


ここ半年腐ってて、腐った理由はあー、えー、次のzineに書いたんで、読んでください。
気持ちを紛らわそうと遊んで疲れてを繰り返す生活をしていたら、まあ荒れましたよね、心も肌も。
そうやって自分で作った不幸の海をぐずぐずと泳いでいたら色々なものを見落としていて、それはこの記録でひたすら書いている物質の「物」もそうだし、好きでやっていたことも忘れていた。
そこから、端的にいうと自分の好きな物に触れたのと、物を作ることでものすごく回復したんすね。
好きな物って主にファッション関連なんだけど、こんなに素晴らしい素材、柄、形、刺繍や、色の組み合わせ、手触り、布の動き方、裏の処理、副資材の付け方の工夫、とかもっと他にも色んなことがあって、それでまず感動するでしょ。しかもそれが着られる、身に着けられる、使うものとして機能するからすごいの。
感動できる物には、勝手に人間の存在を感じてる。魂がこもるとかそういうお話ではなく、どっかで、これ最高でしょ!と思いつつ使う誰かのための意識をもって作っているひとは絶対にいる。そういう人間の存在。
だから多分、私は物に激しく揺さぶられるし、物に対して愛情をもてる。
でもそれだけならtwitterで、#物 最高!とつぶやけばいい。実際つぶやいていたよ私は。この記録のタイトルもそこから付けた。
現状の記録だけだとくそふぁっそんぶろがーみたいになってるけど、一応下記の考えあっての動きです。はい、どうぞ。


私は小売の端くれで働いているんだけども、そこでは安いものは数百円から、滅多に売れるものでないけど数十万のものを扱っている。
物を売る側になって、売買行為は契約だと強く思うようになった。物のクオリティ、付随するサービス、そして対する価格に納得するから一方はお金を払って物を手にし、一方は物を渡しお金を受け取る。
売られる物の金額には、物の材料費、輸送費、様々な過程での人件費、付加価値として高くつけられたり、もう色んな金額が含まれている。買う=契約する上で毎回それを意識しろとは思わないが、お金を稼ぎ、遣って生きているひとは分かっていると思う。そういう意識で物について考えると、やはり人間の存在を感じるんです。
安ければそれだけの金額しかかかっていないということ、つまり人件費がかかっていないということ。
私は特にファッションに興味があるからファッション業界の状況を考えるとすごくそういった事情が分かりやすくて、とても身近な問題として考えている。目をそらしてはいけないことだと思う。
何で安いかって、低い給料で働くひとたちに支えられているから成り立っているわけで、というか成り立っているのかも怪しいよ!いや、成り立ってない。働くひとたちが皆満足に飯が食えて、遊べて、休めて、仕事が続けられなきゃいけないはず。それどころか今や生命の危機にまで及んでいるんだから(バングラディシュの縫製工場崩壊が起きるまで、恥ずかしながらそんな限界まできているとは思ってなかった)、異常だろうが。
安さを求めるということが何に繋がっているのか、考えれば考えるほど恐怖でしかない。縫製工場だけでない、安い服の前には安い素材があって、安い素材の前に安い原料、安い原料を作るひとたち。それよりも状況はましだろうけれど、そういった製品を売る企業の一部の社員・アルバイトの給料だって、楽しんで暮らせる金額かどうか。そしてそのひとらが買う安い物。
根が深過ぎる。
安い服をいっぱい買って、毎日違ったコーディネートをするんだけど安いからもたなくてすぐ駄目になって、でもまた新しいデザインの服が出てるから別にいいやって、むしろ良いなって思ってまた買って。そんな服の楽しみ方のどこに魅力がある?色んな服が着られるという欲ぐらいしか満たされないじゃないか。沢山買って捨てればゴミも増える。


私は服が好きで、シーズン毎に服を買ってしまうし、1年前ぐらいにはファストファッションブランドの服も買っていたから、厚顔無恥といわれりゃ受け入れるしかない。
その上でこう書くのは言い訳に思えるかもしれないけど、私は大量に買わないしあまり捨てもしない、一度買ったらかなり長く着ていると思う。実際に25歳の今、高校生の頃に買ったスカートや靴を履き続けている。勿論、結構ぼろくなってる。でもまだ使えると思ってるから気にしない。
更にひっくり返すようなことを書くけれども、上記のような社会の状況を理由にして、意識的にそういったライフスタイルにしているわけでもない。気づいたらそう生きてた。ただそんな状況を知った今、意識しないでいるのはどうかと思っている。
そこでぐだぐだと悩んだところで、何にも変わらないからまず動いてみようと思ったのがこの #物 なわけです。でもこの#物って、そもそも生産が目標みたいになってるじゃん、なんか主旨違う!みたいに思った?思った?
ちょっと自分でもうまくまとめらなくて説明が難しいんだけど、
・自分で物を作ることにより、売られている物が作られる時間や金額、クオリティ等を意識する
・"物"がテーマのようなのに、作るものが服やかばん、アクセサリー等と限定されているのは、私がそれらを作る力があるから。疑似的自給自足とでもいいましょうか。#物ルールに書いてないんだけど、今回色んなものを作るためになるべく新たに材料は買わないようにしています。でも確かに過去に買ってはいるので「疑似」となります。
というわけで、服やかばんやアクセサリー等の物は今月買いません。#物ルール4参照。
あと、これは少しずれますが、Tシャツやトートバッグ等の既製品を新しく用意して、それにプリントすることがDIYなら私の理想とするそれとは違うと思いまして。おい!お前らそれは違うからやめい!とはいわんよ。ただの愚痴かもね、いつでも物が揃う現代日本に暮らしているから、物においてのDIYってのに夢を見ているのかもしれません。
・ネット上で、作った物に加え自分が素晴らしいと思った物について写真を載せながら語ったものを不特定多数に読んでもらってそれぞれ物について考えてもらいたい。
自分の持っている物についての思い出だとか、物を作ること、良い物とはと価値観を考え直すきっかけになればと。


まだ色んなことが上手く繋げられていないと思っています。
これおかしいだろー違うだろーと思ったらガッと指摘…いや穏やかに優しく羽根で撫でるように教えてください。
あとまあこれは認めるけど、私のかわゆい物や自分で作った物を見せびらかしたい欲求はありますよ。だから私の物を見て!お願い!(エヴァではアスカが一番好きです!)
1ヶ月後にどーなるんすかね。