駄文

人見知りが激しくコミュニケーションをとるのが苦手で、それは多分自分が思っている以上に病的なものではないかと思っていて、でも友人もいるし仕事もできてるし、何とか生きているのでもう別にいーやと思っています。
変とか普通でないとか病気とか、逆に、普通なのに変気取りたいやつとか、どれいわれても、そーすねー、としかいえないです。どれでもいいんで。
ネット上にこうやって内面をたらたらさらすことにあまり抵抗はなく、というか、君、お前、あなたの目の前でもきっと話せてしまうので、気持ち悪いなうふふと思いながらも、書くことは自分にとって癒し、気持ちが良いのでやめられません。
ひとに読んでもらいたいのも事実で、それは承認欲求の表れかと思います。あと、ポジティブな方面で感動させたい気持ちはないけど、こんな不自由なやつが世にはうじゃうじゃいて気持ち悪いだろバーカといいたい気持ちはあります。バーカ。ピッピ〜。


取引先のひとのコミュニケーション能力が、私のそれに似ていて(と、勝手に思っている)、彼にいい加減こんなスピード狂の世界捨てちゃわない?とマルエツの歌がつくアニメーションのような台詞吐いて手を引き愛に走り行きついた宇宙で2人さまようような関係には全くなっておらず、それどころか彼か彼の同僚かのミスにファー!と口から毒ガスを出しそうになりながら仕事を片付けるデイバイデイ。
そんな紫と濃紺と白で描けそうなコズミック空間で誰かとわちゃわちゃやり合いたい気は毛頭無く、それより湿度高めのにごったような空気漂うオレンジの街灯の明るい夜に会社のかの字も思い出さないよなひととだらだら散歩したい。
話がそれた。デートしたい。話がそれた。
コミュニケーション能力の低さはときに、おかしな方向に転がり、珍事とまではいかなくともインディーズ映画の中のなんやねんこれ、というよなワンエピソードぐらいのできごとを引き起こすことがある。根拠は無いけど、ひとに何かを伝えるのが上手かったら、とんとんと物事が進んで今より心中穏やかに過ごすことができたと思うし、ネット上に意味の無い文を書くこともなかったと思う。
余談だけど、PFFかなんかで何らかの賞をとったらしい映画を数年前にケーブルテレビで観たが、モラトリアムが産み落とす狂気とバイオレンスという感じで非常に胸がむかむかしました…。ごめん、こんなエピソード、私には無い…。
何にせよ個人的なことなので、直近のナンバーワンご指名個人的エピソードである私のファッキンかわゆい子宮&膣の話よりもオープンにしたくないしできないことではあるのだが、そんなあるひとつのできごとが未だに、現代の魔法使いakaインターネットの力を借りゾンビとなってお前の耳の奥に品の無いほくろが3つあるとささやく…これは村上スノーマン春樹の短編でした。
ゾンビはどろどろに腐り変わってしまった形を気にもせず、私に抱きついてくる。今夜もやはりそれが起きた。そうなると即座に混乱して、それまでの思考を踏みつけ頭を支配してしまう。身体のなか、心臓の周りになめくじが這っているような感覚で、鬼の手があったら取れるかな〜って馬鹿馬鹿しいごまかしをしながらしばらく猛烈な動揺に耐えようとしていた。
それは、忘れたいとも思わないし、かといって大事にするほど今の自分に必要だとは感じないのだが、こうも起き上がってくるゾンビはまだ私にとっては脅威だ。私はゾンビを抱きしめてあげたいのに、触られるとギャーッと叫ぶしかできない。
そしてゾンビに力を授けるインターネット!インターネットがつくづく怖い。
やつは感情をもたないから躊躇無くはいどーぞって、できる全てのことを難なくこなす。
見えなかった線を可視化してその間にさらに新しい線を作り、相互の距離をすごく短くしている。
その線上を歩くと決めたのは自分だから何ともいえないけど、まさかその先にいつものゾンビがいるなんてな。私は、自分を癒す音楽を求めていただけだったんだ。


駄文マン