5月になった

なんでブログ書いてるんだろう、しかもひとに読ませる前提で。
私何者?zine書くひと?アクセサリー作るひと?ブログ書くひと?
…と少し考えたりもしますが、ひとに面白さを提供できてると信じているのであまり気にしないことにします。


近頃高円寺周辺に通っているのだが、やや、街は変わりますね。
高校生〜専門学生の頃も主に古着、古本や音楽など興味のある文化が高円寺に集まっていてときどき遊びに行っていたんだけど、服の趣味が変わり、聴く音楽も増え、いつからかぱったり行かなくなっていた。
この街を歩くのは4年ぶりくらいだろうか。
専門学生の頃に「やばいビデオ屋がある!」と話していたオービスは閉店するし、好きだった古着屋のほとんどは無くなるか移転していた。
高円寺に行くたびのぞいていたレコード屋の場所は忘れてしまった(健在ですが)。
1人では入りづらくていつか行こう、行こう、と見逃していた店もいくつかあったはずだけど、その存在も頭から抜け落ちたみたい。思い出せない。
当時私の愛すべき街だった高円寺に昨年から通い始めたのだけど、たった4年で既に浦島太郎的な気持ちを抱いている。
この前、当時にはおそらく無かったテイストの古着屋をいくつかのぞいたら、欲しいものがいっぱいあったしこれからも行きたいと思った。嫌いじゃない、むしろ今の私だから手にできそうだと思えた。お店は気に入った、と思う。


4年の間に、私が行く街は増えた。好きも嫌いも強く感じず、用があるから行く。頻繁に行くから少しずつ起きる変化にも順応していく。私はいつもどおり早歩きで、ときおり阿呆みたいにふらふらの足取りで歩を進める。
商店街からJR高円寺駅までの道を歩いていて、なんとなく突き刺さる据わりの悪さは、時間の隔たりのために突然に感じた変化のせいではなく、そして変化そのものでもなく、当時の期待感のみを思い出して生まれる、今ある"街"への感情との差のせいだと思う。
色々な街に出向いたところで結局、私の街は、あるとすれば今住んでいる土地なんだろう。11時に閉まる居酒屋、車の通らない夜道、緑とコンクリートの住宅地。大いなる安心感と期待感の無さ。
それでいい。それ以外は今、移動できる土地、いや、道に思える。
ただ、記憶の中の街への感情は溜め込んでおいても、何も間違いでもないはずだ。