ブリング・リングの感想

ブリング・リングの感想です。
ガーリームービーが枕詞であったソフィア・コッポラはSOMEWHEREで、何でも手にしてきたはずのスターの無様な父親ぶりから、不器用な人間の姿を鮮やかにそして冷静に描くことで幅を広げ、映像のかわいらしさや少女が出演しているだけでぶち込まれてしまうガーリーなどという曖昧なジャンル分けから抜け出したと思うのですが、今回の作品では実際の犯罪をもとに、大人へ近づいていく若者の危うく痛ましい現状を描き、ドラマチックながら社会への言及にもとれる作品になっていたと思います。


これから感想です。
ストーリーが分かると思うので、鑑賞前のみなさんは読まないでおいて下さい。


若者の犯罪自体、その若者の先の人生を思うと悲しくはあるのだが、この映画の悲しみはそれよりも、若者達の求めた夢があまりにささやかにも関わらずそれを叶える方法を誤ってしまったことだ。そもそも彼らが切望した(ただ求めたのではない、切望、だ)夢自体、健全に見えてその実、世間の与える価値観から作り上げてしまった鈍い輝きの夢なのだ。


窃盗グループ唯一の男子、マークの思いはとても切ない。
彼は真っ先に罪を告白し、罪を否認する少女達ばかりのなかで一番真っ当な人間にも思えるが、彼の欲しかったものは物質ではなく、他人から認められること、そして友情だった。
転校先で初めて話しかけてくれた友達のレベッカや、自分を仲間として認めてくれるきれいな少女達を失いたくない、彼が窃盗を繰り返した理由はそれだけなのだ。
自分の力ではぬぐうことのできなかった「イケてない」というレッテルを、いとも簡単にぶち破ってくれた仲間達を、どうして手放すことができよう。
みんなで忍び込んだパリスの家で盗んだ、男のマークが履きもしないクリスチャン・ルブタンのピンクのハイヒールは、彼女達に仲間として認められた勲章、思い出の品に見える。部屋でくつろきながら、ひとりそれを履き満足気な彼の姿はおかしいが、ふざけているのではない。寧ろ、大切に足を通しているように見えるのだ。
(※これ書いたあとに知ったのですがマークのモデルになった子はゲイで、ヒールの靴に憧れがあるための行動かもしれないです。うーん、ちょっと深読みし過ぎたか。)
他人の家に入るというめまいのするようなスリルを味わった共犯者、仲間の意識はきっととても気持ちが良い。秘密の共有はいつだって、ひとををわくわくさせる。しかし普段味わえない状況は、必要以上に感情が熱くなるような錯覚を起こさせる。
だからといって犯罪と共にあった友情が嘘かというと、易々と否定もできない。そこには、彼が願っていた仲間達との時間が確かにあったのだ。これまで手にしたことのなかった彼には、それがいかに空っぽなものだといわれても抗うことはできなかっただろう。
多勢で「イケてない」と押しつけ孤独に追いやり、そしてそこから脱出するにはその社会の基準で認められることを強要するという決まりは、いつからのさばるようになったのだろう。価値観の共有といえば聞こえが良いかもしれないが、一見平穏な、しかし突出したものに目を伏せ多数決に流されてできた集団のぬるい関係性は、自分で取捨選択をする必要が無いから楽かもしれないが個人それぞれの意思が静かに削ぎ落とされていく危険を感じる。
マークが犯罪へ走り、抜け出せなかった根源は、思春期の若者だけの問題ではないと思う。


そして、もう一つの大きな問題、いや一つというよりかは色んなことが絡み合った複雑ないくつかの問題。
ついこないだ日本で話題となった、いたずらをSNSなどの公にさらし注目を集めようとする若者の行動は、ブリング・リングの主役達の行動と重なる。
彼らは、若者では1つでも手にすることが難しいはずの高級ブランドで全身を固め、その姿をSNSに載せるだけでは飽き足らず、ついには自らの犯罪をまるで何かの手柄かのように周囲に吹聴し出す。
他人に注目されることは、誰かに圧倒的な迷惑(罪だ)を掛けてまでしなくてはならないことだったのか。
まず、彼らはインターネットに飲み込まれている。その範囲内が世界で、そこは偏りがあり広くはないのだがさすがに人間ひとりの脳で簡単に把握できない情報量があり、追いつこうとするとインターネット上の話題の外で想像・思考する時間や、観念的な言葉で申し訳ないが、そのための脳の余裕、隙間のような場所を失うのだろう。そして、インターネットの外では得られないほどの多くの人数の認識(それが手軽な"いいね!"だけでも)による快感でその場にとどまってしまう。
自意識の発露が過剰になりやすい思春期には特に他人からの認識は自信や希望を与え、それによって自身を高める…というとはっきりしなくて気持ち悪いですね、成長に繋がったり、新たな希望が見えてきたりするのだろうがそれは通常少しずつ起きていくもので、彼らは手軽に触れられるあまりに多いインターネット上の存在に感覚が麻痺してしまった。
他人に認識されること、そして話題にされること(もちろん良い理由で)が気持ち良いのは分かる。でもそれは何かを為して得られるものだ。
そもそも為す内容が目的のはずで、認識はそれに付随するもの。それを一番に求める彼ら、そして前述した日本の若者達には目指すものや夢見るものが無く、ぼんやりとした言葉ですが(今家族が見ているバラエティ番組から聴こえてきた)「明るい未来」の想像ができないのだろうと思う。いや、正直私も10代の頃に明るい未来なんて想像できなかったし、不満や愚痴をこぼす生活に甘んじていた。でも自分の好きなものや存在が沢山あり、夢中になることで嫌なものをすっかり忘れて良い時間を過ごすことができた。(うさんくさい言葉ばかり並べてしまったが我慢してね、もひとつ、)それらは希望だった。そして、大人が見せてくれた希望だった。
…うまく書けなくてすみません。更に25歳のもはや「大人」の私が言うのはとても無責任かもしれないが、大人の作り上げてきた社会を見て成長した結果が彼らなのだと思う。インターネットですぐに更新されるニュース、SNSで踊る日常生活では知ることのない知識や交わる言葉。それらを提供しているのはほとんどが大人だ。そこに全てが載っているわけでないのは誰でも分かるはずだが、選び取る情報を誤り続けていくと(はっきり言おう、くそをつかみ続けていくと)、どう考えてもその先の人生に影響を及ぼすだろう。もちろんインターネットの外でもそうだ、おかしな大人の出現が続くと大人なんか大したことねえなという気持ちが沸く。(沸いたことがある。)
とても簡単にまとめると、悪いもの汚いものばかり見て育つと困ったちゃんになる、ということになるんだけど、もっと重要なのは、努力する姿や楽しく生きる姿を具体的に見せていかなくてはいけないということだと思う。努力すれば必ずしも幸せな人生が約束されるわけではない。でもそれは、努力すれば幸せな人生になるかもしれない、ともいえることだ。そういった希望を少しでも見せてあげられるのは彼らよりも長く生きている人間たちなのだ。
まあ、「注目されること」が一番の夢ならそれはそれでいいけれども、そのためにも真っ当な努力が必要なことを分からせなくてはいけない。ギネス・ブックに載ることとか私はあまり素敵だとは思えないけども、「世界で一番爪を長く伸ばした」トカ努力ト忍耐ノ賜物ダヨネ!(棒読み)


おかしなことをして注目を浴びたい若者の発現に、すごいっていう人や馬鹿だって笑う人がわんさかいて、その一連を見ていると社会問題でなくて何なんだと。
映画のエマ・ワトソン演じるニッキーのモデルとなった子は、散々窃盗を繰り返した挙句「国の指導者になりたい」とかぬかして自分を支援するHPを開設したそうだ。ただの阿呆なのかそれとも、それらに注目する大人たちを見越しての行動なのか、もうどっちもだと思う。
さあ、そういった社会にどう立ち向かうって、いわゆる普通の一般人の私がすることは楽しく生きることとおかしいことにはおかしいと言える努力をしていくことですかね。


<感想というか、映画を観た日の日記>
あ、あと、これ私にとって重要なんだけどソフィア大先生の映画で私がいつも刺されるシーンは、"楽しかった時間"。
いっときの甘い時間を描くのが彼女は本当に上手いです。
クラブで馬鹿みたいに浮かれて踊るところとかね、部屋で盗んだ服をコーディネートするところとか。
ほんの少しの全てを忘れる時間の輝きがまばゆくて、だからこそとても切ない。
12月の連休最後の日に渋谷でこの映画を観た帰り、23時近くで、渋谷駅から電車に乗りたくなくて原宿まで歩いた。ほとんどの店は閉まっていたけども、若いひとは学校の休みだったり、またクリスマス付近でお休みをとっているひともいるのだろう、人通りは少なくはなく、また酔っているひともよく見かける。
足元がおぼつかないカップルや、何件目か飲みにいくだろう集団や、これからクラブかなんかに行くのかもしれないおしゃれをしたはしゃぐ女の子たちに、寒いのに何してんのって声を掛けたくなるような、路上に座っておしゃべりしてる男の子たち。
ブリングリングの若者(のような者)たちや、彼らが欲しかった友情であったり、仲間との馬鹿騒ぎであったり、きらびやかなファッションなどと同じものが存在しているような気がした。
消えない電灯で目にも明るい街に、浮かれたように見えるひとらが1人で歩く私にはとてもまぶしく、それに自分のコンクリートを蹴るヒールの音もうるさく、過去に色んな誰かとその辺りを笑いながら歩いた思い出が浮かんできてしまい、(fxxkin')ソフィアー!!!!!!と叫びたくなった。もし何がしかの瓶を持っていたら片手でつかんで通り過ぎるお店のウィンドウを割りながら走りたいし、ギターを持っていたらlondon callingジャケのように叩きつけたいほどに胸がかきむしられました。
渋谷はひとが多いしうるさいし迷うから嫌だと思ってばかりなんだけど、それでも好きな場所があったり忘れられない思い出ができてしまうNo.1の悪魔の街で、んー、無駄な揺さぶりに騙されたくないんだけど、この日もやられたなと少し反省した。