ラブレターを送りたい

こないだ初めて生で聴いた前野健太とソープランダーズに感動しました。
バンドメンバーがまずすげーってライブ前は思ってたのですが、確かにそうなんだが(石橋英子ジム・オルーク、須藤俊明、山本達久)、そこに前野さんの歌がのるとは…なんかこう、めちゃくちゃうまい手のかかった定食に、うまいけどちょっと多いわ!と思うよな肉料理一品足されるみたいな感じ…でした。うそ、これ忘れて。これどうでもいいから生で聴いてきてね。


前野健太の歌がこんなに良いなんて知らなかったの。
良い、んですわ。良い、でも、ただ素晴らしいとべた褒めしたいわけではなく、前野健太という男の歌が女の私にぐっときたというのが正しい。
もし私が男だったら…男として違うように好きになるかな、好きにならなそうだな。
彼の歌を聴くときに男女というすみ分けが万人に必要かは分からん。しかし私にはどうしても自分が女だなあ、と思わせる曲ばかりだった。
女として、正直めんどくせえ歌(男)だな、って思っている。
しかしそういっためんどくささを許容するのが人間関係だと思うし、それが成立すりゃ友情なり愛情なりになる理由の無い信頼を抱いて生きるしかないのではないか。
汗を流しながら必死に歌い、おどけ、ときにがなる前野健太は目で見ていても熱くて、押し付けがましい。人間のめんどくささの体現である(ひどい!)。
その姿と歌の露わな人間らしさが私にはとても心地良かった。


美しく歌われるファック・ミーという言葉のインパクトに虚をつかれたが確かに、自分にも相手にもファック・ミーしかいうことねえなと呆れつつ納得してしまった。