マニキュア塗ってる日記

あとで多分、いつかまとめるからとりあえず箇条書き
・いつからそんなにスニーカー好きなの?ってのも、
厚底のフラットな靴の大流行も、
セクシーな服をガンガンに着だしたのも、
ふわふわファンシーなスタイルが広がっているのも、
極端なお話にまとめさせていただく。
女が楽に生き始めたことの、ほんの一歩に私は見えている。
みんなでやれば怖くない。場合によっては汚いやり口ではあるが、悪意に対しては状況に応じて、可。
ファッションの流行が人の手によって作られていることぐらい分かっている。自然発生などありえない。しかし広く受け入れられたということは、求められていた、その世のニーズにふさわしかったといって良いのではないか。


・ネオギャルに憧れる女子どもよ立ち上がれ、というのは、少し違う気がする。
ネオギャルになり、有名なひとらのように英語を話し自力で広い世を渡る。そうなったらすげーし、すげーが、そういうひとらも現れる、ぐらいが自然だろう。美しいだろう。
好きなようにやりなさいよ、とどうしてシンプルにはっきりいわないのだろう、と少しいらついている。
ネオギャルをフィーチャーしていかないといけないのは、ビジネスが関わっているから仕方ないのだ。でも、好きな格好しなよという場合に、定義されたスタイルをして居ることは矛盾しているように思えてならない。
私が求めているものと違うのだろうか。
女よ、または人間よ自分勝手にやれよ、ということと。


・お金を稼ぐ仕事をやるのが生きることの要件ならさっさと死にたい。毎月血を流しながら仕事をするのが私には苦痛でならない。パートナーがいたらお金のことは任せたい。家事は私が引き受ける。
これはフェミニズムが正しくあるために、間違いではないのだろうか、悩ましく感じる。
じゃあピル飲めよ、漢方で何とかしろよ、とにかく病院行けよ…そうですね。じゃあそのために仕事して稼ぎますね。
分かるかこの無力感。


フェミニズムの文献をあまり読んだことないので、そろそろまずい気がしている。
おすすめ教えてけろ。
「ガール・ジン 「フェミニズム」する少女たちの参加型メディア」
riot grrrlというムーブメントー「自分らしさ」のポリティクス」
これらは今までに読みました。
日本のは読んだことほんと無いにゃー、と思ったんだけど、中学生の頃あたりから中原淳一嶽本野ばらの言葉を読んできて、私のファッション、カルチャー観はもとより、フェミニズム観を密かに肉付けしてきたのではないかと気づいた。今。