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毎日毎日ガッジーラ(検索・リンクよけ)のことをふと考えてしまっている。
なにかっつーと、あれ良かったですよといってまわるし、仕事場の近くの席のひとにはついあれが...あれが...と話してしまう。
それもこれもここ数年間を日本で生活しているひとには何かしら感じるものがあるはずという期待があるからだ。
制作側の個人的嗜好をふんだんに盛り込みながら、社会派にすら感じ取ることができるアートでありエンターテイメントである作品が日本で作られるということの感動が大きかった。
他にもいっぱい、心が動かされることがあった。どうしてこの映画がこうまででかいものになってしまったのかという理由は忘れてはいけない部分である。
語りたいことはいくらでもある。
でもいまは書ける気がしないので、何人かと映画について話していて少し気づいたというか、ずっと頭のなかでこんがらがっていたのが少しだけ解けたように思えたことを書く。


何人からか、女性でも観るんだねそういうの、というような言葉を頂戴した。それをいったひとを責める気はない。いまのいままで"そういう映画を観るような女性"に出会わなかったひとたち、ということでしかないし、ここで出会ったのだからそれでいい。
"男性が女性に"それをよくいうのが良くない、ということをただいいたいわけじゃない。
まず、その逆がいくらでもあることを取りこぼしていたら意味が無い。
そして特にいいたいのは、性別のみでどういった趣味嗜好か判断することの波に疑問を持たず抗わず乗っていくひとらのつまらなさがカルチャーを殺していくことに気づくべき。
この面白いものに沢山触れられる時代に、そんなひとたちが占める場に誰が行くか、と。
シーンがどうこう、とかいうくせにそういう部分に無頓着なひとは多い。私はそんなどんづまりの場に積極的に参加したくない。
来るもの拒まず以上にガンガンに客引きをするとまでいかなくとも、性別どうこうでシャットダウンしないよう意識的にすることは最重要だと思う。
そういった点でもヒントを大いに与えてくれたかの映画を、やはり観てほしい...(結局それ)。