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感動して泣いて、ってのが起きるようになったのは20歳前後ぐらいで、そのなかでもよく覚えているのは野音で観た好きなバンドの好きな一曲の途中で号泣したことだ。曲の初めのうちは、そのバンドを通じて交流のあった知人のことを思い出し胸にもやもやと留まっていた悲しさと後悔が出てきて少し涙ぐんでいたのが、ポップな電子音と曲調、楽天的な歌詞に、これが答えかと納得した瞬間にどばーっと涙が溢れてきて、でかい音に紛れて声をしゃくり上げて泣いた。
バンドは、デビューからはしばらくヒリヒリした怒りと妬みがまとわりついているようなオルタナバンドだったのが、何枚かのアルバムを出して迷いをしっかり見せてくれた後、とても素直な個人的感情をぶちまけたアルバムを出してからはすっかり毒素の抜けた、意味のある歌を歌う優しい大人のバンドになっていた。
自分がクソみたいな時間を過ごしている間にバンドもどんどん変わっていって、私にとってその終止符がそのライブのときのその曲だった。曲の途中から、ライブの演出としてカラフルな風船が飛んできたことすら意味を感じてしまった。終わりの始まりの合図。
こういうこともできるようになったんだなあと聴き始めた頃との差に嬉しくもあり寂しくもあった。時間はずいぶん経って、誰も戻れない。その実感に、たくさん泣いた。


今年見たいくつかのバンドでも、かっこよくて感動してとか爆笑しつつとか、涙腺が緩くなったと思うぐらい泣いている。
でもここで書いたように思い出が邪魔をするような感じではなくて、もっと、前向きな感じだと思っている。
こないだ観た明け方のライブはバカバカしくて何もなくてただ音が鳴って騒いでて、周りも自分も笑ってて、それだけだった。それが嬉しくて泣いた。そしてまた笑ってたらいつのまにか終わった。
よく泣いてるから泣くこと自体に大した価値は無いんだよなあ、という話。単なる思い出話。