日記

ずっと東京に住んでいるのに、初めて花園神社の酉の市に行った。
ごく最近までお祭りは浴衣を着るかすももの水飴を食べにいく場という認識しかなかったので、近所でもないのにわざわざ向かうという発想がなかった。
でも、今年の8月に行った盆踊り大会での焼きそばのあまりの美味しさに、次にお祭りがあったら絶対に露店で食うぞ!と思っていたので酉の市は行くしかなかった。
酉の市本祭の日、ちょうど新宿で用があったのでその前に少しのぞくはずが、実際見たらあまりの規模の大きさにこれは用事後に再び堪能しなければいけないと思い、しかしとにかく腹が減っていたので神社入り口でおやきを買い食いしてから用を済ませた。
最初にのぞいたときは、ざっと露店や熊手の売っているエリアを眺めて、ひとの多さと初めて見る独特のきらびやかさにうわーうわーと驚くばかりだった。2回目に行ったときにはゆっくり楽しもうと思ったけど、ちょうど人の集まるピークの時間だったようで前に進めないほどの混雑ぶり。お参りはとてもじゃないけどできない状態だったので諦め、露店散策中心にした。
普段なら全然食べないたこ焼きも俄然食べたくなるのは、買ってすぐに熱々のを外で食べられるからだと思う。
外で食べることが好きで仕事のあとにアイスクリームを食べながら帰ったりとか普段も結構してしまうのだけど、世間的にはマナーがよろしくないと思われる行為のようなので堂々と皆がしているのが本当に嬉しい。神社のなかだけでなく、その周りの新宿の道端で食ったり飲んだりしているのだ。最高、最高だよ。
許される(と勘違いしている。そもそも規制もないから許すも何もない)ときだけしかしないというのはハロウィンの仮装もそう。そこにはちょっと残念な気もしてしまう。普段の街のなかでひとと少し違うことをしてどれだけ自分が社会にインパクトを残せると思ってんのかと、その必要のない自意識にうんざりしてしまうが、お祭りの楽しい雰囲気ではそんなこともすぐに忘れてしまう。
飛び交う外国語の多さにも安心する。米国aka美国の大統領選で見てしまった差別意識やヘイトのパフォーマンスに悲しくなったあとだからこそ、より強くこういった場が存在してほしいと思った。
いか焼き、ねぎ焼き、広島焼き、じゃがバター、もつ煮込み。食べたいものはいっぱいあったけども、祭りの様子があまりに美しくておなかまで満足してしまった。


学生の頃、奈良・京都の修学旅行後の課題にデザイン画を描くというものがあって、仏像や美術品、寺の建築様式や風景などから着想を得たのだが、コンセプト自体は自分らが多くの海外の観光客となんら変わらないこと、身近な地域や自ら興味をもった歴史と文化しか知らなかったことに気づいたということにした。
酉の市に行ってもやっぱり同じことを感じた。東京に住んでいても知らなかった日本の、関東のお祭りの酉の市。家が近い練馬でもやっているがこれまで行ったことがない。近頃やたらとメディアでいわれる「日本人」や「日本らしさ」に違和を感じていることも思い出されて、国の意識どうこうよりもその物事自体を見つめるほうがよほど大事だろうなどと考えてしまった。
酉の市は開運や商売繁盛の神を祀る鷲神社のお祭りで、熊手は福を掃き込む縁起物という由来があるそうだ。一年を終えた熊手は神社に納めて供養をするようで、昨年の熊手がこんもりと集められている場も見た。暗くて少しおっかない雰囲気があった。
熊手は買わなかったけど、自分にとって充分にいいものを引き寄せたような気がする日だった。