you and me zine #5の内容が決して100%だと思っていないことについて

#5は、読んだひとにわりと受け入れられるだろうという確信がありました。"ヒップホップ"や"クラブ"という、イメージをある程度共有しやすくその実、多様性のあるものを文字として表に出した(ツイートした)のは、とりあえずそこに引っかかる、常に何かしらを得ようとしているひとにまずは読んでもらいたかったからです。そういった、知識の更新を自ら進んでする気があるひとは、そもそもあの内容を受け入れる態勢があるだろうとは思っていました。あまり好ましいいいかたではないですが、味方になるだろうと。要はそれが連帯なのではないか、と思います。
そこから広げられることがあるのではないかと考えて、#5は今までより慎重に書いたつもりです。
そこまではやや意図的ではありました。


しかし、人づてやツイッターを見て誰だよって状態で手にしてもらい、そうやって各自が求めたもの以上の予想外なものを得られるのがzineだと思っています。私はがちゃがちゃしてないzineというのは作る気ない、作れないんだけどそれはわりと狙い…っていわないほうがいいか。自分のいろんな欲求が作用して(例えば顕示欲)作られる部分もあり、大真面目にこれを伝えたいって考えている部分もあります。内容が、そのどれかの理由の純度100%で作られる必要はなくさらにそれを明かす/明かさないは自由なはずです。読むひとも、感想をいいたくなきゃいわなくていいし、つまらなければ捨てればいい、批判もしていい、疑問もって当然、間違っていると考えたなら怒れ。作者に向かわなくとも、他人やネットやそれこそzineを作るなど。もちろん1人であいつはヤダなと考えても。そういう機会の発生ができるのも、作る楽しみの1つであります。そうやってそれぞれの内にわいた感情こそ、純粋で私の愛するものです。


zineに関してでもそうでなくても、故意に誰かや自分を傷つけないように、適当でいい部分を残しながら迷いながら発することを、zineを作り他人に渡すことで体現しようとこれまでやってきたし今後もそのつもりです。
確実な答えを紙に残そうという意図はありません。それはそうそうできるものではないからです。
それよりもきっかけになり、知識の更新をするための過程になるだろうと感じています。いつか、書いた内容が古びることすら期待をしています。
いわゆる"持たざるひと"としてできることの柔軟さと速さ、その力が、自分らの道を支えていくのだと信じています。