日記

遊んだ帰り道、路上でちょっと泣いた。
朝の渋谷は少しにごった青で、ごみ集積所にはごみ袋が山積みで清掃のひとがいても、空の缶とかペットボトルとかがぽんと置いてあったりしてきれいとはいいがたく、人間くさい。そもそも街中にタギング、広告がそこらに貼ってある雑然とした様相がまずあり、それを汚いとふつうはいうものだ。良し悪しの話ではなく。
コンビニで買ったカップのコーヒーをストローで吸いながら歩いてると、自分自身のチープさが増す感じがした。きったねえ渋谷にやっすい自分。朝の渋谷の、昼〜夜とは時間の流れかたが違うような雰囲気がわりと好きで、そこにはまっていると思ったら少し気分が良かった。
歩いていて目に入った店の看板のいくつかは初めて見たものだと気づいた。その瞬間、流れた時間とこの先流れる時間を一気に想像して怖くなった。私はあと何回この道を歩き、いつ歩かなくなるのだろう。今日遊んだ場で自分より一回り以上に見える客を見かけなかったことを思うと、以前客だったひとたちのように自分も、今さっき感じた楽しみより優先するもののために夜遊びをやめるのだろう。体力、人間関係か、それとも単に興味を失うか。そうやって、自分のもつ器自体がどんどん小さくなっていき、沢山のものをこぼしていくんだ。


そんな想像がついさっきのことを必要以上に美しく、そして今後二度と体験できないと感じさせて、感傷的になってしまった。私は確実に歳をとっていて、いつかの自分に近づいているようだ。