日記

DJのKonstantinが女性差別発言/行動をとったという記事を読んで、さらにそれにまつわる数々の発言や、それから波及した話題を読んだけど、どうにもむかつきがおさまらない。
女性差別したDJなど論外だとはっきり宣言する男性たちはたくさんいた。それを喜ばしい、と気持ちよくいえるかというと、本当のところ私は全然思えなかった。あまりにあたりまえのことだからだ。
前から、ずーっと前から、有名無名なひとたちが性差別があるといい続けてきて、それでいてまだ、こんな状態なのだ。
今気づいた?おせえよ!今気づいて良かったけど、でもその遅さにも気づいてくれよ!
今までに有名なひとや自分が認めた相手が発言しなかったから、気づかなかったというの?
もういいけど。ただ、気づいたのはただの一歩、これからだってこと。差別的なことをしたりほざいたり許したりするような環境を、何とかできるのは気づいたひとだけだ。


私はアーティストではないから、リスナー・ファン・客という立場なんだけど、差別するDJやアーティストに自分の金を払いたくないし、ライブ中にそういった発言や行為を観たら嫌な気持ちになって音楽が耳に入らないし、はっきりいうとその瞬間からアーティストではなく差別者に見えるのだ。考える余地もなく。私でない誰かはそう思わないかもしれない。ただ間違いなくこの世に1人はそう思っているのが事実だということは分かってほしい。


また、性差別を理解させるために、人種差別にたとえている説明があったけど、それらは互いに例えに使うべきではないと思う。人種、性、国籍、年齢、外見、障がい、病気、能力、職業など、色んな理由の差別が存在していて、その全てを背負わされていることがあるかもしれない。その場合を説明するときに、例えは使えなくなる。なら、そうでないときにはなぜ有効になるのだろう。
各差別は独立して存在しているわけではなく、どちらかというと複雑に絡みあっている。どの問題も認識していないと、ますます深みにはまっていってひとつも解決はしない。
だから、別の問題にたとえるのは、差別を本質から遠ざけることのように思う。


差別するやつは最悪だけど、放置してるやつも全然良くない。
女のDJやアーティストと仕事してたり友人だからって、ファンだからって、それだけでは差別に手を貸していないことにはならない。
それに、私が差別するやつの性別をあまり書かないのは、何も男だけではなく女も女を差別するから。
自分が女だからって、差別をしていないことの証明にはならない。
もちろん、男を差別してもいけない。あたりまえだけど!


性ひとつで判断できることなんてなかなか無い。たとえ、その性のひとの大半が○という特徴があったとしても、▲のひとがいることを雑に扱ってはいけない。無しにしてはいけない。
女は音楽に詳しくないという妄想に、どんな状況であれ男女とも対面していると思うが、私がときどきヒップホップ、ロック、ハードコアパンク、ベースミュージックなどを好きだなあと聴いていても詳しくないのは、女だからではない。私が音楽に対してそこまでの力を注いでいないだけの、私個人の性質なのだ。
余談だけど、コアな音楽の場に女性が少ないという事実は、
・差別がある場に行きたくない
・差別を感じる曲を聴きたくない
・女が少ないという状況が、女はこういった趣味をもたないということの既成事実になってしまいますます遠ざけている
というような原因があると思う。他に魅力的な場はたくさんあるから、そうでない場はまず切り捨てられる。
そこから、音楽の現場作りをアーティストも客も考えるべきなんだと思う。


これは個人的な考えだけど、女性ならでは、男性ならではのセンスなどは存在しないと思っている。
あるかもしれないのは、ずっと昔から植え付けられてしまっている性別に対するイメージの都合良い振り分けだと思う。
DJの性別を知らずにプレイを聴いて、DJの性別を当てられるとは到底思えない。それなのに、〜らしい感性、という評価があったりするのは、やはり偏見以外のなにものでもないだろう。
そういった偏見が、差別に結びつくのは想像に難くない。


うまくまとめられないけど、とりあえず件の流れで、考えたことの一部です。