日記

美しいものが好きだからそうでない場合と同等には扱えないという旨をツイッターでちらっと見てしまい、ツイッターなんかまともに見てはいけないなと疲れてしまった。
このいいぶんの対象が人間だったのがその理由なんだけど。
美しいものが好きだというのは何も問題はないが、間違ってほしくないのは美しいの基準はひとそれぞれだということ。
それに美しい"もの"と美しい"ひと"という表現には慎重になるべきだし、さらに、美しくないひとと"区別"をするのはそれこそルッキズムというもので、区別ではなく差別だ。"区別"は頭のなかで思うだけにとどめて、区別します!と高らかに宣言するものじゃない。正直に懺悔をしたつもりか知らないが、"美しいひと"にも"美しくないひと"にも、とてつもなく失礼な態度だと思わないのが、怖い。対象の目の前でいわないからいいという話ではないのだ。そんな態度をとる人間の存在だけで、私は恐怖を感じる。
美しいと思うなら、美しいとただ表現すればいいのだ。
美しくないと思うようなひとを前提として美しいと思うようなひとがいるわけではないのだから。
胸のうちをさらけだせば許されるわけではない。差別をしないというのは、理性をもって行動をしろ、という話だ。