日記

性的な被害ってのはいつもだいたい被害にあったひとが自分からいわなきゃいけなくてとてつもなくしんどい。最悪。泣きたい。
というか実際、被害にあったときは泣いた。小さい頃の話で、これまで誰にも話したことはないし、今も話せる気がしない。
物理的な(というのも変な表現だが)被害ではなかったので心の傷としては小さいのかもしれなくて、成長してから大きな恐怖も無く他人と性的な関係をもつことができたので、今は忘れてしまいたい過去の悲しい記憶のひとつになっている。立ち位置としては。
しかし加齢とともにたくさんの記憶を失っているというのに、こればかりはそのときの感情すら思い出すことができてしまい、薄れてすらくれない。そして誰かの被害について見聞きするときは怒りがわくのに、自分の身に起こったことについては悲しみ、羞恥、恐怖が占めていて、正直なところ、怒りにあまりつながっていない。相手を許しているわけではない。その件を許す気は全くない。だけど自分の感情に向き合うと、なぜこうなってしまったんだろう、自分は失敗してしまったと自分の「落ち度」を意識してしまう。恥ずかしいと思って言葉にすることができない。頭では落ち度など無いと理解しているのに、感情の面では未だに処理ができない。
それくらいのことを未だ気にしているなんて、といわれそうだという恐れもある。その壁を自分は越えられていない。
加害者は男性だったけどそれで男性の存在に恐怖をもつことがなかったのはやはり被害としては小さかったからだと思う。それでもこれだけ自分に強く跡を残している事実があることを考えると、被害にあったたくさんのひとたちの傷はとても深く大きいものなんだろうと想像する。
さらに自らそれをひとに伝えているひとたちはまた勇気も負担も相当なもののはずだ。そんなことをさせてしまう現状が悲しくてしかたない。理解のないひと含む加害者に対してすごくむかつく。腹立たしい。怖い。何ていったらいいか本当に分からなくて情けないが、まずそう感じている。
もしそういった他人の告発、発言に少しでも疑問をもったり、批判的になったりしたら、いちど立ちどまって考え直してほしい。それが知らない他人のことなら特に、あなたが介入できることはないと気づいてほしい。
世の中の意識は少しずつ変わっているはずと考えながらも、悲観的かもしれないが大きくは変わっているように感じなくて、これを書いた。